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ようやく解った気がします。

 ようやく、これまで追い求めていた「自分にとっての人生の真理」が見つかりました。もしかしたら一生かかるかもしれないと思っていましたが、思っていたよりは早かったです。もちろん、真理、つまり理想の生き方は、これからもどんどん変わるとおもいますが、今はようやく納得できる一つの真理を見つけることが出来た喜びでいっぱいです。
 いつものように厨二病的なので、そういうものが嫌いな方はどうかお帰りください。お目汚し失礼いたしました。

 今回も、次にいつ時間を作れるか解らないので、余計なエピソードなどを省いて、なるべく端的にいきます。
 私が見つけた真理とは、私がこれまで苦しんできた三つの難問に関する答えです。

 一つ目は、「勝敗だけでない人生の価値はあるのか、あるならそれはどんなものなのか?」

 二つ目は、「社会へ大して利益をもたらさない趣味(特に、アニメやゲームや小説)に熱中するおたくな生き方は社会にとって不必要な二流のものなのか?」
 
 三つ目は、「目的を果たせず、苦労しただけで死んでしまった人の人生に意義を見出すことは出来るのか?(お涙頂戴やタテマエやキレイゴトだけではなく、世間的な成功者や普通の人と同じく幸福であると心から思えるような)

 というものです。これまでは、どれも既存の答えでは満足出来なくて苦しんできた疑問達です。私は頭が悪いうえに、今はちょっと時間がないので次に答えをいきなり書きます。時間が出来たら疑問を抱いた理由とそれらを解消できなかった経緯も書くつもりです。
 
 私が見つけた答えとは、“人生には「行間」が存在しているべきだ”ということです。
「行間」とは、ここでは人生で掲げられる目的外のこと、伝記に書かれたり、理想の人生として描かれていないような、普通何の意味ももたらさない時間のことです。
 たとえば、受験勉強について話される場合は、「受験のためだけの勉強」や「勉強ばかりの学校生活」がたびたび否定されます。
 しかし、その真逆である「受験をあまり考えない人生」「良い大学→良い会社というレール(に限らず大学進学という世間の人が行う”一般的”な生き方)から外れた人生」は本当の意味で肯定されてはいないのではないでしょうか?
 所詮、判り易いレールから外れた人生は、金銭的、社会的に成功が約束されていなければ価値が無く、成功した人生に後付で意味や価値が認められるだけでしかないと思えます。「戦争」と呼ばれるように、兵隊が敵前逃亡したり、戦闘以外のことをしようとしたり、戦争の意義に疑問を持ったりすることは許されていないのではないでしょうか?
 確かに、受験戦争を否定する言説は山のようにありますし、メディアではむしろ否定しないものは人にあらずな勢いに思えますが、現実的にはレールから外れたところで成功を得ることはともかく、”レールから外れた価値”を探すことは決して肯定されていないような気がします。
 成功するにしても、一般的とされる人生を進んだ人と同じかそれ以上の成功を得なければ、レールから外れる意義はなく、得られなかった人生には価値はあまり認められていない・・・というか見下されるだけに思えます。
 
 ただ、人生の意義や意味が、そうした常識的なレール上をたどって成功するだけであるならば、成功できない、あるいは出来なかった人間の人生に本当に意味はないのでしょうか?
 私にはそうは思えません。例え障害や重い病を抱え、レールを完走することなく半ばで死んでも、人生は意味はあります。ついでに、社会に貢献出来ないとされる趣味に生きたり、世間から外れたような生き方にも意味はあります。
 
 なぜかというと、本当の、伝記や小説、物語ではない実際の人生、人が生きている時間というものは、人間が考えているもの、捉えられる”人生観”の外が存在するからです。どんなに細かく人生を定義しても、人生の目的をただ一つに絞っても、人生には必ずその”外”が存在します。成功することが人生の意義、人間が意義を見出せる唯一の原因(ちょうど良い言葉が見つかりません)だとしても、成功していない、成功のためのルートをたどらなくても人間は幸せを感じることは出来るのです。なんてことなく、ただ生きているだけでも、その一瞬になんてことのない幸せを感じることはできる。成功のための確固としたルートが存在するからこそ、そのルートを浮かび上がらせる”余白”としての時間は必要である。
そして、社会的に、世間的に認められていないような人生、行動でもやがて時代が変わることで社会の役にたつことがある。むしろ、世間的に認められた生き方は、なまじレールにそっているために、普通予想できないような事態に対応することが出来ない。出来るはずもない。全ての”成功”しなかった、出来なかった人の人生がそうして後に役に立つことは無くとも、未来に、それまで生きた人生が何かを残したといえる例は多いだろう。

ルート以外の人生を否定することは、そうした”予想外の活躍”を無くしてしまうおそれがあるのです。
何が”予想外の活躍”をするのかは誰にも分からないのですから。

とりあえず、今日はここまで。この長ったらしい文章をお読みいただき、ありがとうございました。
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