スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夢の中だけで生きたい人は、何が望みなのか?

相変わらず、ドタバタしております。
その原因は、行動にかかる時間の見積もりが甘いことだと気付きました。
やりたいこと、やるべきことは多いのに、実際に一日にやれることはあまりに少ない。
休日になるたびに自由な時間に浮かれ、結局やりたいことしかやっていないのです。

まあ、とりあえず、いつかお約束した、自分が「夢の中で生きる」生き方に限界を感じた理由を少しだけ。あいかわらず長くて分け分からんですが、約束した以上、書いておかないと気が済まないので、上達後の清書までどうかお待ちください。

「夢の中で生きる」という話の例として、映画、「マトリックス」、ゲーム「テイルズ オブ デスティニー2」を少し取り上げてみます。ネタバレあります。(ただし、時間と私の能力の都合でたとえ話は出来ません。ご了承ください。)

「マトリックス」では、機械によって、人間はヴァーチャルな世界で生きています。
しかし、その世界はとても夢のような世界ではない。それは、人類自身がそうした世界を拒絶したからなのだそうです。
おそらく、「マトリックス」世界の人間たちは、以下のことに気付いたのでしょう。
夢のような世界には、いくつかの問題点があります。

1、それはあくまで「代わり」である。現実の世界で満足している人には「夢の世界」は不要です。
  「夢の世界」を欲するのは、現実に不満を持つ人だけです。
  ゆえに、「夢の世界」は、あくまで思うようにならない現実の代わりでしかないのです。
  だから、どれほど「夢の世界」が理想的で、あらゆることが思うままになったとしても、
  それは、「現実では絶対に幸福になれない」ということの裏返しでしかないのです。
  
   たとえば、「死んだ大切な人がまだ生きている世界」の夢を見ていても、それは、
  そんな夢を見る必要があることを、
  つまり、「その人がもう死んでしまって絶対に蘇らない」ことを示しています。
  どんなに理想的でも、それは現実での無力感の裏返し、私たちにヴァーチャルでない、肌に感じる  逃れることが出来ないリアルがあるからこそ、夢は、理想のままの「楽園」でありうるのです。
  リアルが無ければ、どんな理想的な世界も唯一の、比較対象の無い「現実」でしかないのです。
  「夢の世界」に満足するためには、いや、そもそも「夢の中で生きること」を幸福に思うには、現実で  不幸である必要があるのです。少なくとも、夢を見始めるためには。
  
   「夢の世界」では、現実では一行も書けない小説家志望者も、名作を書き上げて名声を得られる  かもしれません。・・・・・・その代わり、現実では一行も書けないままです。
  小説化志望者は、現実で本来得たかった成功を、自分が手に入れていないことを確認しながら夢  の中で生き続けるのです。・・・・・・・それは、「おまえは駄目だ」と自分で自分を非難し続けること  と、一体何が違うのでしょうか?
  
   もちろん、リアルで彼または彼女が成功できる可能性があるとは限りません。あらゆる手を尽くし
  命や家族や大事なもの全てを犠牲にしても、何一つ得られないかもしれません。
  ですが、また、「絶対に夢が叶わない」という保障もまた、ないのです。常識外れの年齢や条件に
  ありながらも、夢をかなえた人はいくらでもいます。彼ら彼女らに対して、世間が認めることが出来  たのは、その「熱意」だけであったにも関わらず、彼ら彼女らは確かに成功したのです。
  ・・・次に作家志望者がそうならないとは、誰も断言できません。世界の全ての条件を認識し、確実  な未来を予測することなど、神様にしか出来ないのですから。

2.赤ん坊には意味が無い。
  上記の話から簡単に導ける結果がこれです。まだ産まれたことのない赤ん坊は、「リアル」を知ら  ずに「ヴァーチャル」で生きることになります。唯一の世界が一つなら、夢が叶う喜びも、現実の苦  痛を逃れられる安心も何もありません。「テイルズ オブ デスティニー2」のある世界や、「マトリッ
  クス」では赤ん坊が産まれるやいなや、「夢の世界」に取り込まれ、そこで生きるようになっていま  した。「現実の苦痛を味わわなくて良いのはいいことだ」ですか?それも駄目なんです。なぜかは  次項で。

3.人間は夢の世界で生きるのに向いてない。
  「人間」は、あくまで「リアル」の世界で進化してきた生き物です。何を当たり前なことをとおっしゃる   かもしれませんが、これは意外と重要です。
  私たちの、脳も、手も、目も、そして神経の働きや、まばたきですら、この過酷な「リアル」を生きて  いくために生物が進化して手に入れてきたものです。
  せいぜい百年ちょっとの間に個人が手に入れた人格や思想は、その前では塵同然です。
  「私」という意思などは、生物が「リアルを生き抜く、種を反映させる」という目的のもと、結果として  作りあげて来た「一人の人間」の上澄み、後からダウンロードしたソフトに過ぎません。
  所詮、それはリアルを生きてきた、そしてこれからも生きようとする「OS」には絶対にかなわないの  です。
  要するに、「夢を見たい個人」がどうこうという以前に、「生物としての人間」は「リアル」で生きてい  ないと上手く動作しないし、決して「リアル」を忘れようとはしません。「リアル」を忘れることは、
  「死」に直結しているのですから。

4.「夢の世界」では努力が出来ない。
 言葉のままです。「夢の世界」は、「何でも思うがまま」になる世界です。それは、本当の意味での  「予想外」さや「苦痛」の無い世界です。RPGのイベントや恋愛物ドラマのトラブルのような、偽りの  「困難」を作っても、それは本当の意味での困難ではありえません。どこかで予想や自分に対する  手加減が存在します。そんなものが困難であるわけがない。
 困難が存在しない世界では、努力や、困難を乗り越える喜びもまた、無いのです。

5.「夢の世界」では、「他者」とつながれない。
・・・・・・この項では、これまでにも増して、気恥ずかしいことを書きます。覚悟完了!!
恋人達だけの世界なども「夢の世界」には含まれますが、そんなところですら、いやそんな「場所」だからこそ「自分」とは違う、「他者」には触れることは出来ません。「それでいいじゃないか、どうせ違うことは不幸にしか繋がらない。」「人と人とは分かり合えないから、そもそも「他者」との関係など無いほうが良い」とおっしゃる方、「他者」に触れなければ、「自分」は分からないのですよ?
 私も、社会に出て人と触れ合う機会が増えるまで、自分の中の様々な面に気付かずにいました。欠点も、取り柄も、本当の意味で理解してはいませんでした。自分の周囲にある、様々なものが何のために存在し、どう使われているのかも、自分が「20代の男」であり、「ここに生きている人間」であることも全く理解せず、感じてはいませんでした。
自分が知らない自分を、知らない喜びや楽しみを、生きるということを知覚するには、他者との触れ合いや関わりが不可欠なのです。少なくとも自分はそう思います。

これで最後です。

6.「夢の世界」は薄っぺらいニセモノでしかない。
上記の理由を補完する話ですが、「夢の世界」は、「夢の中で生きたい人」の「都合の良いドラマ」でしかありません。そこは、彼または彼女の、「知っていて」、しかも「取捨選択した」リアルの切り張りなのです。だから、そこにあるものは、「リアル」に存在するもののような「背景」を持っていない。人間が知覚し得ない、知らない、膨大な「現実の条件」が足りないのです。
まるで、「へのへのもへじ」のように、それは現実の本当の魅力を、そのエネルギーを、決して反映出来ないのです。現実で生きていれば、知覚しきれずとも、「見えない」背景を感じ取ることぐらいは出来るでしょうに・・・。

以上です。今回はとりあえずここまで。お付き合いくださった方、本当にありがとうございます。

追記。今回の文章とあまり関係ないけど、いくつか箇条書きを。
・人間の本質はは矛盾である。

・いかなる価値観も、思想も、矛盾する(人間の知力では統一した形で理解できない)「人間」という存在をカバーしきれるわけがない。

・矛盾の存在は、論理の閉鎖性から逃れる希望である。1-1=0かもしれないが、本当に、その「1」
は人間が知覚しているように「1」なのか?そして、本当に「-1」をしているのか?「計算式の外から」
数字が足したり引かれたりはしないのか?計算途中に、計算のルール自体が変更されることはないのか?

・楽しくないからこそ、苦痛を解消しようと人は前に進む。そして、子々孫々と命と、人が気付きあげてきたものが受け渡されて行く。

それでは、また。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。